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第46回卒業式 学長式辞

(2008年03月28日)

学長式辞

 卒業生の皆さん、卒業おめでとうございます。私は本学の法人役員及び教職員を代表して、皆さんの卒業を心からお祝い申し上げます。

 また本日の卒業式に、ご多忙のところご臨席いただいた大分県知事、大分県議会議長、大分県教育長、ほかご来賓の皆様には、厚く御礼申し上げます。

 なおまた本式典にご出席いただいております保護者、ご家族の皆様に、ご子女の卒業を心からお喜び申し上げます。それと共に私どもの教育に後援会を通してなにかと陰ながらご支援をいただき、厚く御礼申し上げます。

 さて卒業生の皆さん、皆さんは青春の一番大事な時期、本学において充実した学生生活を送りました。2年間の間にさまざまなことを学び、また新しい友人を得たのではないかと推察します。その成果として先ほど短期大学士の学位を授与されたのです。

 この春から皆さんの大部分は社会人としての新しい生活が始まります。なかには本学の専攻科で、あるいは他大学にてさらに勉学を続ける人も少なからずいるでしょうが、短期大学での勉学は本日をもって終わり、一区切りついたわけです。

 一区切りついたと言いましたのは、学習すべきこと、学ぶべきことはまだ際限なくあり、これからも学習は続けられるべきものであると考えるからです。社会には明確なカリキュラムやテストはありませんが、学習を続け、豊かな人間性を備えた自分自身を自分で築き磨きあげるべきです。古代ギリシアの哲学者アリストテレスは主著『形而上学』の冒頭で「人間は生まれながら知ることを欲する動物である」と述べていますが、知りたいという欲求、知識に対する欲求は人間であるかぎり自然な欲求なのです。人間は生物学上の分類名でhomo sapiensといいますが、これは知識を持っている生物という意味であり、人間の本来的なありかたは知識人であるといってよいでしょう。

 京都に同志社大学という私立大学がありますが、その田辺キャンパスにある瀟洒な図書館の入り口の上の破風のところにはLEARN TO LIVE AND LIVE TO LEARNと書かれています。訳せば「生きるために学び、学ぶために生きる」となります。20年ほど前に訪れたときにこの言葉を見て気に入った私は、その図書館の司書の方に出典を訪ねてみると、同志社英学校が大正元年に同志社大学と改称された折、初代学長を務めたアメリカンボードの宣教師ドワイト・ウィトニー・ラーネッド博士Dwight Whitney Learned(1848-1943)の墓碑銘からとったということでした。本当の出典は不明なのですが、以後、この言葉を私の座右銘としています。

 ここでいま勝手ながらこの言葉Learn to live and live to learn「生きるために学び、学ぶために生きる」を卒業する皆さんへのはなむけの言葉として贈りたいと思います。

 この言葉は生きる目的は学ぶことにあることを示していますが、勉強はきらい、これから働くのだ、あるいは遊ぶのだと考えている人には、ここで言う「学ぶ」ということを広く解釈するようにお願いしておきます。「学ぶ」のは、なにも専門的な学問や技術を学習することだけに限るのではありません。就職して働くにしても、仕事の内容について、あるいは能率的な仕事の進め方について学習しなければなりません。遊ぶにしても、面白い遊び方の方法や遊びのルールなどについて学ぶ必要があります。

 先に挙げたアリストテレスは、前に引用した言葉に続けて、知ることの始まりは、感覚器官を通して外的世界を知覚することにあると述べています。つまり見聞を広めることも学ぶことに他ならないのです。日本語には見学という言葉がありますが、これは実際を見て、その事に関する知識を広めたり深めたりすることで、文字どおり見ることにより学ぶことです。

 昨年の秋、私はチェコ共和国に旅行する機会がありました。行く前に、ドブリーデン(こんにちは)、ジェクイ ヴァーム(ありがとう)といった簡単なチェコ語を学校での授業に近い方法で学びました。他方、実際にプラハ城や世界遺産に登録されている南部のチェスキー クルムルフ城、あるいはアール・ヌーボの代表的イラストレーターであるアルフォンス・ムハの作品や、ロボットという単語を生んだことで有名なSF戯曲の名作『R U R(エル・ウ・エル)』の作者カレル・チャペックの肖像などを見学して大いに得るところがありました。簡単にいえば中世以来のチェコ共和国の歴史と文化について教室では学べない方法で学んだのでした。

 チェコ共和国に限らず、現代において世界各国の歴史について、つまりは世界史について知ることは大事です。18世紀のドイツの劇詩人フリードリッヒ・シラーは、1789年5月26日「世界史とは何か、また何のために世界史を学ぶのか」と題するイエーナ大学就任公開講演において、世界の諸民族の文化は相互に連鎖しており、現在の人間は過去の人間の総体的結果として現存しているから、現在の一瞬を説明するのにも、世界史のすべてが必要であると述べました。それから2世紀を経た今日、世界諸国との交流は飛躍的に盛んになっています。これは大相撲やサッカーで活躍している外国人プレヤーの国籍がさまざまであるのをみれば明らかでしょう。とりわけ私どもは、近隣諸国の歴史について知る必要があります。たとえば中国人の持つ反日感情について、歴史的な由来を知っていなければなりません。

 近代国家は法治国家であり、国家と言う制度は憲法を初めとするさまざまな法律によって統制されています。ですから国民はもろもろの法律について知識を持っていなければなりません。たとえば車を運転するには道路交通法の知識が不可欠で、この知識をもつことは義務なのです。知らない、知らなかったでは済まないのです。

 中央教育審議会会長の山崎正和氏は近著『文明としての教育』のなかで、知識の歴史的な集積が文明であり、個人はそのなかに生れ落ちてくるのであるから、文明に従い、それを分有するのは人間の権利である以上に義務であると述べています。言い換えるならば文明社会において人間は無知である自由、無知である権利はなく、知識とは持つことを義務づけられたものだと述べています。私もそのとおりだと思います。ですから知識の歴史的集積を生きるかぎり無知は許されず、無知から脱するには学び続けなければならないのです。ここにおいて生きることと、学ぶことは同化します。

 さてしかし「生きるために学び、学ぶために生きる」ためには、ひとつの前提条件があります。いうまでもなく健康でなければなりません。皆さんもまずは健康に留意してください。

 健康に留意するとは、自分の健康に注意することに限らず、健康一般について、あるいはその反対の不健康あるいは病気について学ぶことです。安定した健康を得るためには体操などの運動が大事ですが、また食べ物も大事なことは、すでに古代ギリシアの哲学者プラトンが指摘しています(『国家』404)。すなわち香味料、シュラクサイ風のご馳走、シケリアの多彩な料理、アッティカの菓子は避けるべきだと述べています。簡単に言えばグルメは避け、単純素朴な料理を食せよというのです。このように健康の維持管理のためには、食生活を含めてどのような生活をしたらよいか、これも学ぶべき事柄に他なりません。私は昨年暮れに不覚にも転倒し、首の骨を負傷し手足が不自由になってしまいました。これが頚髄損傷と呼ばれる怪我であることを知り、これについていろいろ学びましたが、後の祭りです。ともかく自分の体あるいは健康状態に無知であったのが原因でこうなったのでした。そうしてこの年になってもまだ学ぶべきことは山ほどあることを痛感したのです。私も皆さんに負けずに学んでいきたいと思っているところです。一緒に頑張りましょう。

 最後に、卒業生の皆さんをはじめ、この栄えある卒業式に参列いただいた皆々さまのご健勝と多幸を祈念して私の式辞といたします。

 平成20年3月21日

 大分県立芸術文化短期大学学長 利光 功

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